気が向いた時に残す雑記

個人の雑記です。各方面に配慮がない表現等ありましたら申し訳ございません。特定の人物、事象を攻撃する意思や意図はございません。あくまで雑記。

心の折れた日の話と、

心が折れた日の話と

 


今から長々と書くことの最終的な着地点は「好き」の思いは大きな声に出して伝えてほしいということなので今日から、今から実行してほしい。

 


趣味で二次創作をしているのだけど、ずっとかきかけの小説がある。もうお話も頭の中で完成していて途中までは世に出してある。でも非公開にした。

もっとすごい小説はたくさんあるんだけど、いいねが300くらいついてはじめてpixivに投稿したにしてはたくさん読んでもらえたな、嬉しいし頑張って続き書こう!って思える感想もたくさんいただいた。3話目を出した時、私の小説が荒らされた。というかタグ荒らし?にあった。荒らした方はコメント欄に解釈違いだ、と書いた人だった。300くらいいいねがついて、十何件かコメントもついて、続きを楽しみにしています、といってもらえていたのにも関わらず私はその小説の更新をやめてしまった。心が折れたのである。

 

 

 

 


突然だが今日の話である。本日の夕飯はしゅうまいだった。

 


発達障害の息子は味覚過敏があり、インスタグラムで素敵なバランスの良い幼児食を提供するママがみたらひっくり返りそうな食生活を送っている。しかし、彼なりに色々な経験を経て食べられるものが増えてきた。現在年長の彼が入園する前は鮭フレークご飯しか食べなかったのだから随分な進歩である。この夏彼と、彼の妹である娘は料理にハマった。私は料理を作ることが好きなのでこの夏の二人の姿は嬉しい誤算であった。自ら作ったものは1口だけでも食べてくれるので手間ではあるがほとんど毎日1食は自分でなにか調理してもらうようにした。(と書いたらすごい偉そうだけど、自分で食パンにバターを塗ったことなんかももちろんカウントしている。というかそういう日が半分くらい。笑)

今日は習い事もなく午後に余裕があった。冷蔵庫にも材料があった。息子は朝ごはんもバナナのみ、お昼ご飯を残して帰ってきたのでお腹もすいているだろうという算段があった。ということで夕飯のメインをしゅうまいにすることにした。

息子はハンバーグが大好物になったので、同じひき肉と玉ねぎの料理であるしゅうまいなら食べてくれないかなという思惑もあった。焼売の形が嫌なら皮に包まないタネをハンバーグのように焼いたものも用意すれば食べてくれるだろうと思った。昔から醤油をつけなくても食べられるように味をしっかりタネにつけたしゅうまいがすきだし、それを作ってきたけど息子が食べるとしたらハンバーグと味に大差がないように控えめの味付けにもした。

息子を調理に誘ったが、幼稚園が始まったばかりでお気に入りのおもちゃで遊ぶ時間が取れなかったためか今日は「やらない」といわれてしまう。あまりしつこく誘うのも良くないだろうと思ってわたしも分かったよー、と引いた。娘と2人でしゅうまいをつくった。

主人が定時で帰ってきた頃息子はお腹がすきすぎてぐずり出した。今日はしゅうまいだよ、といったらパニックを起こして泣き出した。しゅうまいのタネをハンバーグみたいな形にして焼くよ、と言ったけれど本人は今日これが食べたくない気分だったようで本人は不貞腐れて泣いていた。

 


これから先のことを話す前に言い訳をすると今日は朝から食に関して意見が噛み合わなかった。

日曜日に明日食べるから買って欲しいと言われて購入したあんぱんの賞味期限が昨日だったんだけど、月曜の朝も、昼も夜も食べないと言って食べず、まあ朝ならギリギリ大丈夫かな…(賞味期限だし…)とおもって食べる?と声をかけたけれど「食べたくない。気分じゃない」といって食べなかったので私がお昼に食べた。彼が食べたのはバナナだけだった。

お昼ご飯は週5でお弁当なのだが基本的に「好きなもの、食べられるものを食べられる量だけ持ってきてくれ」と言われているので本人に食べられるものと食べられる量を確認しながら用意をした。けれど幼稚園から帰ってきて流しに置かれたお弁当箱の中は空っぽの妹のお弁当箱とは対象的にミートボール一つしか減っていなかった。それで「お菓子食べたい。あんパン食べたかった。」と泣くもんだからわたしの心はざわざわしていた。怒ったって仕方がないのだから怒らないようにはしたけれどお菓子はあげなかった。あまりにも食べていないので具合が悪くなられたら困るから涙をこらえながら朝から気遣って用意したお弁当を捨てた後果物をむいた、という経緯があった。

 


朝昼食べてくれなくて、なんとしてでも夕飯は食べてほしいという気持ちはあったけどなんでこんなわがままに付き合わなきゃいけないんだ、と苦しくなる気持ちもあった。本人にとってはわがままじゃないんだけど。きっと食べられない何かがあるんだろうけど。その気持ちとこの気持ちの折衷案が今日のしゅうまいだったのだ。

 


まあここまで言い訳してなんとなく察してもらえたと思うが彼は夕飯も食べなかった。

私「ハンバーグにしたら食べられる?」

息子「うん」

私「ハンバーグにしたよ」

息子「ソースは?」

私「ソースも用意したよ」

息子「小さく切って」

私「小さく切ったよ」

 


というやりとりがあってからの

 


「こんなの食べたくない」

 


だったので、心がポキんと折れてしまってボロボロ涙が溢れてしまった。せっかく娘が一生懸命包んで誇らしそうにニコニコとご飯を食べていたのに、主人も娘を褒めながら、息子を励ましながらご飯を食べていたのに。楽しい食卓に水を指してしまった。頭の中は後悔でいっぱいだったのに涙は止まらないし息子に向かって「もう、君に何を用意していいかわからない。もうご飯作りたくない。」と泣いてしまった。それでもこの状況の感情がイマイチ理解できない息子はぐずり、主人の堪忍袋の尾も切ってしまった。主人に「パパが頑張って稼いできたお金でママが一生懸命作ってくれたご飯をなんで食べられないんだ」なんて言葉を言わせてしまった。

阿鼻叫喚の地獄絵図である。

もちろん主人もそんなこと言ったって食べられないものは食べられないんだし、私たちにはわからない感覚の過敏さで私たちには理解できない理由で食べられないことは頭で理解している。怒鳴っても泣いてもこの状況は変わらないのはわかっているし無理やり食べさせることになんの意味もないことがわかっているけれどこんな状況にしてしまったことに後悔している様子だった。

可哀想なのは子供達だった。本当に未熟な親だと痛感した。両親のただならぬ様子を感じたのか息子は「美味しくない」と言いながら食べてハンバーグ風のしゅうまいのタネをお代わりした。今日は食べられない日ではなく食べたくないだけの日だったようだ。

 


息子にご飯を食べてほしいだけなら絶対に息子が食べられるメニューにすればよかった。肉じゃがとか。冷蔵庫の中の食材でできたんだし。

好きな料理でストレスを発散したいだけなら息子のご飯に初めから鮭フレークをかけてあげればよかった。どちらも選ばずしゅうまいを作ったのは私のエゴだし、私が勝手に傷ついて泣いただけだ。

頭ではわかっているのに「偏食なくいろんなものを食べることが良いこと」という呪いからまだ解放されない心が悪いのだ。いや、偏食なくいろんなものを食べるのはいいことなんだけど。

発達障害児である彼にとってはまだ遠い段階の課題なのだ。まだまだなのだ。

 


落ち着いてから子供達に泣いたことを謝って、それから落ち着いて食べなかった食材を捨てることは悲しいことを話した。彼もお腹が満たされて落ち着いたのか「食べることがめんどくさいときがある」ことを教えてくれた。何か食べなきゃいけないのはわかっているし、幼稚園にはお弁当を持って行かなきゃいけないことはわかっているから何か持って行かなきゃいけないけど食べることが本当に本当にめんどくさいんだ、と。また折衷案を探っていく日々だ。でも今日は食べてくれてありがとう、美味しく作れるように頑張るねと息子に伝えた。息子も美味しくいろんなものを食べたい気持ちもあるとのことなので一緒に頑張ることを約束した。

 


それとせっかくしゅうまいづくりを手伝ってくれたのに食卓の雰囲気を壊してしまってごめんねと娘にも謝った。本当に娘のつくったしゅうまいはじょうずにできていたよとも伝えた。親のひいき目じゃなくても娘のしゅうまいは完璧だったと思う。娘は許してくれたけど、娘にリアルで会う人は娘にあったら娘のことを褒めてあげてほしい。本当に娘は天才なので。

 


主人が「いつもほんとによくやってくれている。俺ならもう投げ出している。」と偏食に関して労ってくれているのだがそれはひとえに自分が料理がすきなことと主人や娘が「美味しい」「作ってくれてありがとう」と伝え続けてくれるからだ。家族以外にも度々料理を作る機会があるのだが、周りに人が「おいしい!」と伝え続けてくれているから料理が嫌いにならずに、息子を責めず「特性のせいなんだ」と思うことができている。息子と娘にはとても悪いことをしたと反省しているのだけど、私の涙を見た主人が息子に対して叱ったことで現に私の「もう料理作りたくない」という気持ちは消えて息子と一緒に頑張っていこうという気持ちになれている。

だから継続して気持ちを伝え続けていくということは本当に大切なことだし、ましてやそれが自分の好きなことならなおさら大切に大切に好きだという気持ちを伝え続けていかなければならないのだと身をもって経験した。

 


1つ嫌なことがあると、それまで貯めてきた何百もの好きの気持ちよりも大きなパワーで心を抉ってくるけど、そのえぐられた穴をふさいでくれるのも好きの気持ちなんだって思った次第である。

 


最初に書いた小説の話なんだけれども、数年ぶりにひょんなことから友人に見せる機会があった。そしたら友人が本当に本当におもしろいと褒めてくれたのでなんだか数年ぶりにその続きを書いてみたいと思えた。

 


心が折れた日と、それが回復した話である。