気が向いた時に残す雑記

個人の雑記です。各方面に配慮がない表現等ありましたら申し訳ございません。特定の人物、事象を攻撃する意思や意図はございません。あくまで雑記。

お雑煮と夫婦について

昨日というか本日というか、わたしの大好きな刀剣乱舞というコンテンツのメディアミックス作品である「続 刀剣乱舞 花丸」の放送が開始した。
開始日を指折り数えて待ち、推しキャラが映るかドキドキしながら普段はしない夜更かしをしてまでリアルタイム視聴をした。
(推しを公言しているキャラクターは相変わらず可愛かったし、そのキャラクター同じくらい大好きなキャラクターがほぼメイン級の扱いで無事爆発。生きる。)

その中でとあるキャラクター二人がお雑煮について口論するシーンがあった。
片方は雑煮といえば「丸餅に白味噌」、もう一方は「角餅にハゼのだし」と。
角餅にハゼは仙台、丸餅に白味噌は関西に多いという知識だけはあるがどちらも私には馴染みがない。

では私にとって雑煮とは…と考えた時にとても頭が痛くなった。
私にとって雑煮とは新年早々繰り広げられる夫婦喧嘩の象徴なのだ。
これから書くことは、とらえかたによっては両親を非難しているように捉えられかねないが、私は両親を責めたい訳では無いと先に書いておく。

我が家は北関東の農家だ。父はそこで生まれ育った。父の中で雑煮と言えば、その時ある野菜と鳥肉をふんだんにいれ、醤油で味をつけたものだ。
父が幼い頃は家で家畜を育てていたと聞く。正月とはいえ農家に休みはない。ひと椀で野菜、タンパク質、炭水化物がとれる暖かい汁物と言うのが雑煮なのだ。文字どうり雑に煮る感じ。そしてその雑煮に欠かせないのが芋がら(里芋の茎?を干したもの)である。父はもう絶対に何がなんでも野菜と鶏肉と芋がらが入っていないと雑煮とは認めない!!という農家雑煮過激派である。

一方母はサラリーマン家庭で育ったが、その母、私からすると祖母)は東京の大きな商家で育ったと聞く。そんな祖母が作るお雑煮は透明なすまし汁に焼いた餅を入れ、別ゆでした飾り切りの人参、三つ葉、手鞠麸、香り付けにゆずの皮を少しだけ散らすといった今で言うめちゃくちゃインスタ映えなお雑煮だったのである。

そんな両親が結婚し父の元へ嫁いで初めてのお正月、敷地内別居をしていた母に新年のお料理よろしくねと頼まれた母は気合いを入れてお雑煮を作った。もちろんインスタ映えなお雑煮である。
(ちなみに、普段の食事はもちろん家が違うので別々だが父方の祖母は所謂メシマズ嫁であったため、比較的料理が得意だった母に正月料理が一任されたのであった。)

「これはなんだ…?」

父が母に言った一言がそれである。
そしてそれは雑煮解釈違い戦争の火蓋が切って落とされた合図でもあった。


父曰く、母の料理は基本的に美味しいのだ。でもそれを「お雑煮だよ」といって出されるのは自分の中では納得出来ない。

母曰く、お雑煮の汁が濁っていることは許せないのだそう。なんていうか、それって餅入り野菜汁じゃん。普段はいいけどお正月には違うじゃんと。


まーーーーーーーー飽きもせず毎年毎年正月になると二人は言い争いをしていた。私が物心ついてから母が家を出て別居を開始するまでの20数年間、毎年だ。

母も父好みの雑煮を作らなかった訳では無い。お正月休みのお昼ご飯なんかは野菜のたくさん入った農家雑煮だった。
でも、元日の朝はインスタ映え雑煮を作り続けた。25年。ずっと。

父も父で元日の朝くらい我慢すればいいとずっとずっと思っていた。どうせ食べるんだから「美味しかった、ご馳走様」で終わらせればいいのではないかと。母だって農家雑煮を作ってくれない訳では無いんだから。なんなら自分で作ればいいじゃないかと。
ただ母はずっと「これが正しいお雑煮だからあんたたちも覚えてないと恥ずかしいよ」と毎年毎年言っていた。雑煮は濁ってはいけない、醤油なんてもってのほか。きちんと出汁をとって塩で味付けした汁こそがお雑煮の汁なのだと。
そういうスタンスで毎年インスタ映え雑煮を作っていたから父も思うところがあったのだろうな、といま考えれば思う。

勿論、母だってそれが正しいと教わってきたのだ。子供のころからずーーーっと。郷に入りては郷に従えともいうが母にとってそれは曲げられないものだったのだろうと思う。


でも雑煮に正しいもクソもないじゃん…
というのが20年以上雑煮解釈違い戦争に巻き込まれた子どもの感想である。
それこそ母の基準でいえば白味噌の汁など「ありえない」という結論に至るのであろう。過激派怖い。

これに限ったことではないが、結果としては25年連れ添った後、現在別居してもうすぐ3年が経つ両親を見てこの人達は夫婦としての対話が上手くいってなかったんだろうな、と生意気にも結婚してもうすぐ5年を迎える私が行ってみる。夫婦といえど元は赤の他人同士だ。
父だって母だって、雑煮に関してだって他人に対してだったらあんな話し方も対応もしなかっただろう。

「ありえない」「あんなの雑煮じゃない」なんて恨みがましく子どもだった私たちに言わないでさ、もっと違う言葉で父に言えばよかったのに。

父だって母の話をたくさん聞いてあげればよかったのに。いつも「どうせ俺が言ってもあいつの好きにするだろ」なんて言わないでさ。

こんなところにこんなこと書いてるわたしも、本当はこの気持ちをちゃんと両親にいえば良かったなあと思っている。でも私達ももう大人だし、子は鎹なんて言葉もあるけれど鎹になるには育ちすぎてしまった。私は自分の家庭があるし、妹達にはそれぞれの生活がある。

何が出来るか考えた時に、私は思った。

「子どもたちには同じ思いをさせたくない」


そう気をつけて生活してはいるものの、勿論私にも過激派の血は流れている。「え、それはなくない……?」と思うことは多々ある。例えば焼きそばにものすごくマヨネーズをかけることとか。そしてそこにご飯を入れることとか。マジでない。(と思っていた 笑)
そして口に出したことも何度かある。だけどそれを口に出してしまった時、夫はものすごく悲しそうな顔をするから私はやってしまった…と思うのだ。そのたびに反省する。
幸い夫が理解があるというか懐が深いというか、食べ物に関して全幅の信頼を寄せてくれているためか「美味しければなんでもいいよ」と言ってくれているため食べ物においての大きな解釈違い戦争は勃発してはいない。夫と私の食べ物の好みが似ていること、育った地域がおなじことも要因のひとつだと思う。しかし、一番大きな要因は夫がなんでも話を聞いてくれること(勿論、食べ物のことに限らず)だと思う。ほんとうに感謝している。大好き。

新年早々、お雑煮の話から飛躍した自覚はある。久々に長い文を書いたからあまりまとまりがない文になってしまった。
とりあえず言いたいことは結局

「今年も夫婦仲良く過ごします」

ということに尽きる。自分には過激派の血が流れていることを肝に銘じ、夫に感謝して過ごします。夫が私にいつもしてくれていることを返せる人間に今年はなろう。


最後になりますがそんなこんながあって、私の中には確固たるお雑煮像が存在しない。そんな私がどんなお雑煮を作ったかというと昆布、かつおぶし、鶏肉で出汁をとったものを醤油で味付けし、電子レンジでチンした柔らかいお餅を器に入れ別ゆでしたほうれん草、ニンジン、かまぼこ、手鞠麸をいれたなかにお出汁を注ぎ入れた。

私のお雑煮を、両親はなんというかなと考えながら「美味しいね」と言ってくれた夫と子どもたちの顔を思い出している今日この頃。