気が向いた時に残す雑記

個人の雑記です。各方面に配慮がない表現等ありましたら申し訳ございません。特定の人物、事象を攻撃する意思や意図はございません。あくまで雑記。

将来の夢的ななにか

書きたいことがあるときが書き時と言いますが毎日書いちゃうと自分、毎日書きたくなっちゃって苦しくなるんだよなーとおもいつつ書きたいことが3つくらい溜まってるので文字にしようと思う。でも聞いて。なんでも刀剣乱舞絡めたくなる。

恥ずかしながら、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は小説家だった。あまり体の丈夫でない幼少期(現在もポンコツだけど。)私は本の虫だった。うちの両親は欲しいおもちゃは基本的に買ってはくれなかったけど本なら欲しいと思った時に湯水のように買い与えてくれる人達だった。
結果としては小学生のうちに恋愛小説を読み漁って色っぽい大人の恋愛に憧れ(つまるところセックス)現在の性欲おばけが出来上がった。良いんだか悪いんだか。まだきちんとした恋愛を知らないような(結婚した今でもきちんとした恋愛を知れたかどうかは謎だ)青臭い頭でっかちの小学生は恥ずかしげもなく「小説家」になるという夢を公言してしまっているのだ。恥ずかしすぎて同級生の卒業アルバムを燃やして回りたい。
そんな私もいくつか賞に応募し、現実を突きつけられ、挫折した。結果として書くことは趣味にとどまっている。これで良かったのだろう。

では実際、私は大人になってどんな職業についたかというと「保育士」だ。これまた親の刷り込みみたいなものだがうちの両親は二人とも教師になりたかったらしい。もちろん強制はされてないが父は「娘達の誰かが先生とよばれる職業についてくれたら嬉しいな」と言っていた。(そういえば小説家も先生じゃんねー)父の夢を叶えたいという気持ちは微塵もなかったが私は幼稚園から高校、はたまた短大まで先生ガチャの引きだけはアホみたいによかった。だから「先生」と呼ばれる職業……いいんじゃない?と思ったのだ。高3の12月末にwww受験まで1ヶ月を切った時にwww
もともと高校を卒業したらどこでもいいから就職しようとおもっていて就職活動をしたのだ。クソ進学校だったのに。(一般就活をしていた生徒は240人中2人)一応、とある工場に内定をもらっていたのだがなんとリーマンショックの影響をうけ内定先の工場が倒産したのだ。12月に。
そこで急遽進路を考えた時に勉強しなくてよくて得意科目で入れる進学先を探した時に保育士の養成学校にいくことにしたのだ。付け加えるとめちゃくちゃ子どもが好きなわけではなかったのだが高2の時に大病をして「もしかしたら子どもは産めなくなるかもしれない」と医者に突きつけられたのだ。だからぼんやりと自分の子どもを育てられないかもしれないなら他人の子どもでも人間が成長する姿をそばで見てみたいなという気持ちもあった。

そして保育士になった訳だが私は1年で退職することになる。現在保育士の待遇など様々な問題が浮き彫りになっているが私の場合体調面で退職だ。
これ、保育士になった人はみんな経験していると思うのだけど保育園は感染症の巣窟だ。どんなにこちらが対策してもクラスの半分は毎日鼻水を垂らしているし誰かは咳をしている。働いてたあいだお昼に投薬を行わなかった日は数える程度だったんじゃないだろうかというレベルでみんな体調不良だ。
信じられないレベルで風邪を移されるのだ…。「1年目はみんな移るんだよ~そうしてみんな丈夫になるんだよ」と先輩先生が良くいっていたことを思い出す。言い過ぎかもしれないが過酷な労働条件で感染症までうつりまくっててあの給料とか正気なの…と今では思う。
私は1年間で3度マイコプラズマ肺炎を移されそして持病の喘息をこじらせて入院した。3度目の入院のときはほぼ1ヶ月も間入院した。主治医からは「このまま続けてたら死ぬ」と言われて退職した。
悔しかったけれど、やめたことに関しては間違ってなかったと今でも思っている。それに資格があれば「保育園の保育士」以外でも働く場があることが分かったのでいずれはなんかそっちの方面で働くと思う。仕事はめちゃくちゃ好きだったからね。

しかし、こんな事言ったら毒親に思われるかもしれないけれど自分の息子や娘が保育士になりたいといったら多分全力で止める。社会が今のまま変わらなかったとしたら。絶対保育士にはなって欲しくない。多分我慢しようとしても「やめた方が良い」と口に出してしまうだろう。
短大時代、同級生は130人いた。留年したり辞めたりして卒業する時は120人くらいだったのかな。120人全員が保育士として、正社員で働き始めた。現役で働いているとしたら7年目になるのだがもう多分、半分も正社員としては働いてないと思う。下手すれば3分の1くらいだろう。上の世代からみたら根性ないとかみっともないとか思われるかもしれない。そう思ってもらっても構わないけれど私の同級生たちは結婚や妊娠出産などおめでたいことでやめた人もたくさんいるけれど、それ以上に心や体を病んで辞めていった。
私のように持病が悪化した人、ストレスでリウマチを発症した友人、過酷な労働環境で心を病んだ子……。
その殆どが「仕事は好きだし、子どももかわいい。大好き。だから途中で放り出せない。せめて学年末まで…」と、無理に無理を重ねて自分をすり減らしていった。いまの保育業界はそういう若い子たちの良心を食い物にして成り立っている気がしてならない。
過酷、過酷と書いてるけど私が働いてた職場、人間関係だってそんなに悪くなかった。しかしその職場に残っているのはシフト制のはずなのに仕事が山積みで12時間勤務していることも、持ち帰りの仕事が多すぎて家でも仕事をしていることも、残業代は基本的にでないことも、給料が低いことも(下手したら最低時給以下で働いている)「保育業界はどこもそうだからしかたないよね」って諦めてしまった人達でなりたっているから変わらないのだと思う。

そんな業界に可愛い子どもたちを「がんばれ!応援してる!」と送り出すかーちゃんにはなれないよ…。
親に認めてもらえないとめちゃくちゃ悲しいことはよく分かっている。私だって保育士よりは現実味のない突拍子もない「小説家になりたい」という夢を笑われ、無理だ、やめときなって言われた時は悲しくて悲しくてたまらなかった。
でも結局親に言われて諦めてしまうような夢なら夢で終わっといた方がいいんじゃないかと今は考えている。
でも出来ればこれ、子どもに言いたくない。
言いたくないから今のうちにいろんな選択肢があるよ、と広い世界を沢山見せてあげたいと思っている。


といっても現実は酷なもので、今わたしは悩んでいる。
もうすぐ4歳になる息子、実は将来の夢があるのだ。彼は慎重な性格で思っていることを頭で逡巡しすぎてなかなか口から出てこない。そんな彼が3歳になって少しした時初めて将来の夢を口にしたのだ。

「新幹線の運転手になりたい」

とても可愛らしくて思わず私は彼を抱きしめた。発達が他の子よりもゆっくりな彼が頭の中で自分が大人になる姿をイメージし働く姿を夢に見れたことが嬉しくてたまらなかった。
しかし彼は色弱かもしれないのだ。かもしれない、というのはまだこの年齢だとはっきり診断ができないためだ。彼の見えているものは彼にしかわからない。彼の場合発達もグレーだし、ほんとうに色弱かどうかはまだはっきりとは診断できないのだそう。

もし本当に彼が色弱であったのならば新幹線の運転手になることはできない。

それは本人が自分で知る方がいいのか、期待させずに親が言ってあげた方がいいのか、未だにわからない。迷っている。どちらにもメリットがあり、デメリットがある。最終的に決めるのは夫と私だ。幼児の夢なんかコロコロ変わるだろうし、もしかしたら私と同じように色鮮やかに世界が見えているかもしれない。そうであれと毎日祈っている。
でももし、その日が来た時にどうしてその選択をしたか理由も込みで息子に伝えられたらいいと思っているのできっと私たちはずっと考え続けるのであろう。