気が向いた時に残す雑記

個人の雑記です。各方面に配慮がない表現等ありましたら申し訳ございません。特定の人物、事象を攻撃する意思や意図はございません。あくまで雑記。

娘の痣を消すことで私が救われたいのかもしれない話

私の娘には扁平母斑というカフェオレ色の痣がある。太ももから膝にかけてあるものが一番大きい。その他、目立つぶぶんや目立たない部分にいくつか同じような痣がある。

基本的には悪性化することはないと考えられており、娘は一ヶ月検診で「あとは消えるかもしれないし、消えないかもしれないけれど別に死ぬようなものでは無いので心配する必要はありませんよ」と言われた。

それでも心配で皮膚科にかかった。しかしこの痣はレーザー治療してもあまり意味がないと言われた。娘を見てくれた皮膚科医の腕にも同じく扁平母斑があり「僕にもありますけど、特に治療はして無いでしょ?心配いりませんよ、お母さん」と言われた。私は笑ってうなづいた。皮膚科医も安心したように笑った。


私は笑ってでもいなければその場で泣いてしまいそうだった。なにも知らない娘も笑った。生後半年の頃だったと思う。


わたしには持病があり、薬を服用しながら息子と娘を産んだ。息子の時は主治医のいるかかりつけの総合病院で出産したのだが、出産に際し持病とは全く関係ないことで生死の境をさまよったため、娘のことは県内でも有数の大きな周産期センターを持つ産婦人科で産んだ。結果としてそれはものすごく良い選択肢であった。まあ、実質そこで産むしか選択肢はなかったのだけど。

娘は予定日よりも少し前に生まれたのだが、4000g近いとても立派な体重で生まれた。こんなに大きいのだから丈夫に育つね、なんて助産師さんも笑っていた。わたしもホッとしていた。

ところが数時間後、わたしの元に娘が入院したと看護師さんが伝えに来た。産後のわたしを気遣って念のためね、念のため。と繰り返した。わたしを不安にさせないように作られた笑顔が余計にわたしを不安にさせた。まだ名前もない、わたしの名前の後ろに「ジョジ」と書かれたたくさんの書類に保護者としてサインを書いたのが産後初仕事になった。授乳でもオムツ変えでもなく、娘の治療のためのサインだった。

わたしは看護師さんがそうしてくれたようにすでに帰ってしまった家族に連絡した。極めて明るく。「大丈夫大丈夫。病院の先生かがついてるんだよ?退院してからおかしくなったりしなくてよかったじゃん!」と。高速を使って1時間かかる距離だったことや、兄になったばかりの息子が風邪をひいてしまったこともありわたしは一人で娘の元へ通った。NICUにいる小さな赤ちゃんの脇でひとまわり、ふたまわり…さんまわりくらい大きな娘を見てなんでここにいるんだろうな、なんて思ったりもした。きっとまわりの人もなんでこんなに大きな子がいるんだろうななんて思ったかもしれない。「わ、デカ」って漏らしたちいさな赤ちゃんのお父さんの表情を今思い出そうとしても鮮明に思い出せる。

娘の容態が思わしくなかったことは最後まで原因がわからなかった。母体に合併症がなかったのかわたしも調べられたりしたのだけど、息子出産の時に悪化させてしまった貧血以外は特になにも見つからなかった。

こんな状況のなか、気づいたら娘の足に痣を見つけたのだ。なんて書いて良いかわからないのだけど、わたしの心中を察してほしい。


それから娘は見た目はめちゃくちゃ健康優良児に見える病弱な乳児、幼児人生を歩むことになる。

生後2ヶ月にRSウイルスに感染したことをきっかけにわたしと同じ持病を発症した。発熱すれば必ず入院した。予防薬を毎日服用することになった。そしたら今度はまた別の体の不調が見つかった。人より疲れやすく人より休息を取らなきゃいけない体質なのに娘はちっとも寝てくれなくて思うように昼寝ができない日が3日くらい続くだけですぐに熱を出した。


そんな日々を送り始めたところに痣を積極的に治療するのはあまり意味のないことだと言われたのだ。心中をお察し頂きたい。



わたしに持病があることと娘の体のことはほとんどイコールで結ばれない。同じ持病を持ってしまったことはこれはもうほんとうに私の遺伝子がごめんね、なのだがそれ以外はわたしに持病があろうとなかろうと薬を飲んでいようがいまいが、重症妊娠悪阻になったことも貧血なことも関係が無いことだと娘を見てくれたお医者さん方は口を揃えて言った。ましてや娘の体にある痣はわたしのせいでもなんでもない。


だけど、それでも。

わたしのせいじゃないかな、とやはり心の中で自分が自分を責めるのだ。

ああすればよかったのかもしれない、こうすればよかったのかもしれないと頭の中で自分をいくら責めても目の前にいる娘の体が良くなるわけでもなければ痣が綺麗になくなるわけでもない。なんの意味もないことなのにそうやって頭の中にずっとそれは消えないであった。


娘の痣を見て「あら、どこかにぶつけたの?」などと道行く人に聞かれることは日常茶飯事である。娘が自分で動けないような時には虐待されてるのかな、などと陰口を叩かれることもあった。「ここ痛いの?」と聞かれた日は傷もない、ぶつけてもいない、なんでもない足にある痣を指差して覚えたばかりの日本語で「いたい、いたい」と一晩中娘が泣いた時もあった。

ここでわたしが言いたいのは娘に声をかけて来た人が悪意を持って言ってきたのではないとわかっているということだ。知らなければそういう反応をするだろうということもわかっている。言葉はきついものだったけれど虐待かもしれないと言われることはめちゃくちゃ傷つくけれど、子どもの命の危険に気を配っているというか、関心がある人がいるんだろうと思う。いや、そう思い込んで自分を奮い立たせた。怪我をしている子どもを見た時に見て見ぬ振りをしない人なんだろうな、と。そう思うしかなかった。

だからわたしは勝手に傷ついて来た。


オシャレが大好きな娘に「私の足のこれはいつなくなるの?」と聞かれたこともある。

私は意味がわかるかわからないかそんなことは置いて、娘に「あなたの痣は生まれた時からあるんだよ。治ると良いなと思ってはいるけどこれはなくならないよ」と聞かれるたびに説明した。これが正しいことなのかはわからない。でも、嘘をつくことが良いとは思えなかった。入退院を繰り返し大人の中で育ったすこし大人びた娘にごまかしてとりつくろうこともできる自信がなかった。治らないかもしれないと口に出しながらわたし自身もその事実を飲み下そうとしていた。

なにが理由でも人のことをからかうことが「あり」とされるような残酷な年齢になった時に娘の心をどう守れば良いかすごく考えたし、思春期の娘にこんな体に産んだのはどうしてといわれる想像もした。


ごめんね、ということした頭に浮かばなかった。



今日、娘の皮膚科の定期検診を受けに行った時にそこの病院でやっている美容診療の料金表が目に入った。 きっと前から貼っていたのになぜか目に入らなかったものが今日、目に入った。

思い切っていつもの診察をした後にそれについて質問してみた。すると先生は丁寧に説明をしてくれた。やると決まったらきちんと診察させてもらうと言ってくれた。メリットだけでなく、デメリットのことも説明してくれた。私は笑っていた。泣きたいのをこらえていた。でも今度は嬉しい意味でだ。

やるとしてもやらないとしても、選ぶ選択肢ができたことは幸せなことだ。

「できない」と「やらない」には大きな差がある。

娘は帰りの車の中で「この茶色がなくなるかもしれないってお話をしてたわけ?」と聞いて来た。私は「消えるかもしれないし、きえないかもしれない。絶対消えるって約束はできないけど消えるかもしれない方法はあるってお話だったよ」と説明した。「なくなったらうれしいな」と娘は言っていた。3歳児の言葉なのでまるっと信用するつもりはないのだけど、家族で話し合ってとりあえずはその治療についてもう一度前向きな方向で話をきいてみたいと思った。


治療をしたことによって、もしかしたら娘が「痛い思いまでしてやりたくなかった」などと思ってしまう可能性だってないわけじゃないのだけど、娘の痣についてなにかやってあげられた事実が残ったらなんの選択肢がない状態でいう「ごめんね」よりも前向きな「ごめんね、でもこの時それが一番いいと思ってママはそれを選んだんだ」っていえる気がする。私のエゴなのかもしれない。痣があってもへっちゃらだ!と思える子に育ててあげるほうがいいのかもしれない。でも。


でも。


最後に書いておくと別に私は娘の痣がある足だって大好きだ。ムチムチの足の写真だけで自分の子を当てる選手権があればもう私は秒で優勝が決まってしまう。そんなのなくたってわたしのかわいいかわいい娘の体なのだ。大好きに決まってる。

娘が自分自身を大好きでいられるような選択をしたいのだ。親が守ってあげられるうちに。


何かしてあげたくても、なにもしてあげることができなかった現状に一筋の光が刺して来たような気持ちになったことを雑ではあるけれど残しておこうと思う。